80歳目前にして毎月必ず一回以上ステージにあがる元気さと、とても米寿を控えてるとは思えない綺麗さがある五月みどりさん。

ここではそんな五月さんについて、過去の旦那や彼氏に纏わる逸話と、妹・弟についてフォーカスして取り上げています。

 

プロフィールと経歴等

SIMPLE PROFILE

五月みどりbbaii

《芸名》五月みどり
《生年月日》1939年10月21日
《出身》東京都
《身長》156cm
《血液型》A型
《事務所》五月企画

◇◇オフィシャルブログ◇◇

◇◇wikipedia◇◇

芸能・女優デビュー等

  • 1958年(19歳)、『お座敷ロック』でデビュー。
  • 1961年(21歳)『おひまなら来てね』が大ヒットを記録。以後、実力派美人歌手として人気を博し、歌手活動のみならず、女優・バラエティーなどでも活躍。
  • 1989年(50歳)には自画像『赤いストール』で二科展に初入賞。翌年の二科展に『思い出』を出品、2年連続の入賞となる。
  • 1992年(53歳)着物デザイナーとしてデビュー
  • 2000年(61歳)オリジナルティッシュbox教室「VENUS」を代官山にOPENする

 

女優業のみならず自ら絵画などにも挑戦し、すぐに頭角を表すなど様々な分野でマルチに活躍されています。

特に2000年にオープンしたオリジナルティッシュbox教室「VENUS」は、全国に多数のお店を構えるほどの大盛況!

噂では現在お住まいの自宅が何と”400坪”の大豪邸で、画家の方から頂いた屋敷を建て直しされたという、普通の人が聞いたら恐らく目が飛び出すようなお金がかかっているかと思われます。

やはり長きに渡って芸能界で活躍して来られたばかりでなくビジネスでも成功されていますから、途方もない財産が手に入っていることでしょうね。

 

※19歳のときの可愛くて歌唱力が桁外れの五月みどりさん

 

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五月さんの姉弟関係

元々五月さんはなんと8人姉弟の長女です。

しかも、父親が実家に芝居小屋を作るほど芸事に憧れを抱いていたので、もしかしたらその時に五月さんも歌や芝居に興味が出たのかもしれませんね。

五月みどりkekonsiyo

 

ですがもちろん、それと実際に売れて有名になることとは別問題です。

にも拘わらず、なんとこの8人兄弟のうち三人が芸能界で目立った存在となりました。

五月さん以外の二人のうち一人は、プロボウラー全盛期に日本人初の海外優勝をされた西城正明さん。実力だけでなく、端正な顔立ちもあって多くの女性を”とりこ”にした有名なプロボウラーです。

しかも西城さん、もともとは歌手であったのですから驚きしかありません。

もう一人は、同じく演歌歌手の小松みどりさんです。演歌全盛期時代に日活映画に出られて、当時の青年たちを熱くさせました。

ですから、この方も歌手と女優の両方で活躍されてきたわけです。

この二人は五月みどりさんの実弟・実妹で、現在も姉弟・妹間で連絡を取り合うなど仲が良いみたいです。

 

さらに、息子の西川哲さんはプロゴルファーで菊池桃子さんの元旦那であったりします。

そう考えると、芸の才能だけではなくスポーツの才能もある血筋なのだろうと想像できますね。

というか、どれだけ多才なんだよって感じですが(笑)

菊池桃子さんについて

 

過去の結婚相手との逸話

実は五月みどりさんは過去に3度も結婚をされ、そして離婚歴をされています。

それぞれ、どのような理由で破綻してしまったか、簡潔にまとめました。

 

一回目の結婚

一番最初にご結婚された方は北島三郎さんや細川たかしさん等多くの芸能人が所属していた新栄プロダクションの社長(現:会長)の西川幸男さん。

元々、五月さん自身も所属していた事務所ですので、親身になって活動の手助けをしてもらう内に恋仲になっていったと思われます。

1965年(26歳)のときに結婚をし、その後二人の子宝にも恵まれ、幸せの絶頂だったことでしょう。

ただ、そんな幸せな時間も1971年(32歳)わずか6年という短い期間で離婚という残念な結末を迎えてしまいます。

原因は主だったところでは

  • 西川さんの亭主関白振り
  • 価値観の違い
  • 社長夫人という立場に対して不満

であると言われています。

昔の男性というのは、時代背景的なこともあって女性に対し上から目線で、酷い扱いをする人も多かったとよく言われますが、西川さんも恐らくそんな感じだったのでしょう。

それに加えて、残りの二つだけでも十分に離婚の原因となり得るところですから、離婚は必然だった、と言えるかも知れません。

 

離婚後、子供の親権を西川さんに渡ることになった際は

【子供と別れるのは身を切る辛さ】

と後に雑誌で語っておりました。

それでも別れたいと思うほど追い詰められていたことが想像できます。

 

二回目の結婚

離婚された5年後の1976年(37歳)に五月さんがレギュラー出演されていたテレビ番組「金曜10時!うわさのチャンネル‼」で当時ディレクターをされていた面高(おもだか)昌義さんと再婚。

五月さん自身この時が一番楽しかったと振り返るほどで、今後こそ幸せな日々を続けられると思ったそうですが、しばらくすると面高さんの会社の経営が苦しくなり、勝手に五月さんの財産を使いこんでしまったとのこと。

もともと夫婦間で浮気は自由であったり、かなり理解し合っている関係のようにも見えましたが、やはり無断で資金を使ったことは二人の間でも完全にルール違反だったようです。

その結果、五月さんはもう面高さんのことが信じられなくなって、関係が完全に破たんしてしまい、1984年(45歳)に離婚することとなりました。

五月みどりgreenii

 

三回目の結婚

そして1985年(46歳)には20歳年下の歌手、立花淳一さんと3度目の結婚をされます。

当時”20歳差結婚”で話題になりましたが、この結婚もわずか2年で幕を閉じてしまいます。

離婚の原因は、立花さんにはもともと多くの女性がいたこと。そしてこれは少し信じられないことですが、なんと結婚式当日に女性関係が発覚してしまったそうです。

偉そうな言い方で大変申し訳ありませんが、自業自得というか、早まった感が否めませんね。過去に二度も結婚を失敗されているのだから、もう少し慎重になるべきだったのではないかと思います。

 

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現在も恋人がいる?

そんな五月さんは現在、元マネージャーである逸見文泰さんと事実婚状態であるらしいです。3度の離婚を経験された五月さんに、片時も離れずに支え続けたマネージャーさんに恋をするなという方が難しいですよね(笑)

現在は交際されて20年目を迎えるお二人は、今後も籍を入れずにカップル感覚で仲睦まじく添い遂げあうとのことです。

ご本人は

「結婚をしないから良いんじゃないか」

と言われていますが、私もそれはあるのではないかと思います。

実際、結婚することによって新たに生じる問題の種というのは非常に多いですからね。意識的にも安心感を得られる一方で、息苦しさは増しますし(笑)

ぜひこれからも逸見さんと幸せな時間を楽しんでもらいたいです。

五月みどりkireinda

 

◇最後に一言◇

五月みどりさんの過去の結婚遍歴をみると少し悲しい結末が多いですね。

といっても、これは五月さんに限らず、実は上であげた弟・妹のお二人も離婚歴があります。

もしかしたら、あまり”結婚”というものに向いてない親族なのかも知れません。

こういう人は概して安心感より開放感を望むタイプになりますが、やはり芸能人は自力で大金を稼げるために大半の安心感が自力で満たせるので、多くの人が開放感の方を選んでしまうのでしょう。

五月さんと弟・妹も明らかに多才ですし、逞しいから枠に留まれないことが理由なんだと思います。

しかし、現在幸せの中にいると思われますのでこれがずっと続いてもらいたいものですね。