現在80歳をゆうに超えられている八千草薫さんですが、若い頃から少女のような可愛らしさと母のような優しい眼差しを持つ女優さんです。

中年期以降はお母さん役、特に良妻賢母な役のイメージが強く日本のお母さんとして多くの人達から親しまれています。

ここでは、その八千草薫さんについて若い頃(宝塚時代)の驚愕の美しさと、結婚にまつわるエピソードを中心に取り上げていきます。

 

プロフィールとこれまでの経歴他

SIMPLE PROFILE

八千草薫の現在の画像

《芸名》八千草薫(やちぐさかおる)旧姓谷口瞳(たにぐちひとみ) 松田瞳(まつだひとみ)

《生年月日》 1931年1月6日

《出身》大阪府

《身長》公称154CM

《血液型》O型

《事務所》柊企画

◇◇wikipedia◇◇

芸能・女優デビュー等

  • 1951年(20歳)宝塚歌劇団内で公演されていた「分福茶釜」の子狸役で宝塚内デビュー。
  • 1951年(20歳)宝塚夫人で映画デビュー。
  • 1954年(23歳)「蝶々夫人」で蝶々さん役で主役。
  • 1960年(29歳)テレビドラマ「愛妻物語」でテレビドラマデビュー。
  • 1977年(46歳)テレビドラマ「岸辺のアルバム」で田島則子役で主演。

最近は健康食品のCMで有名な八千草薫さんですが、意外ところではスクーターのテレビCMで話題になりました。事の発端は前年にライバルメーカーがイタリア女優のソフィア・ローレンを起用し、爆発的に大ヒットしたことです。

それに対抗してまだ原付の免許も持っていなかった八千草さんに、ヤマハはなんと自社の免許センターにまでわざわざ八千草さんを呼んでまで免許をとらせるほど熱の入れようでした。

なお当時スカートとヒールを履いた八千草さんがスクーターに乗る姿は八千草さんのおっとりとしたイメージとはかけ離れており、それが世間に受けてスクーターは大ヒット。

これによりスクーター業界はかつてないほどのバトルに突入します。

 

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八千草薫の若い頃(宝塚時代)の画像が驚愕

八千草薫さんの若い頃は、本当に美しくその美貌だけで一躍スターに上り詰めるほどであったといいます。

それは現在残っている画像からでも、十分に伺うことができます。

こちらが宝塚時代の画像になります。

八千草薫宝塚時代の画像2

八千草薫宝塚時代の画像

 

※左上です。

 

 

八千草薫宝塚時代の画像3

 

こちらはもう少し若い時期だと思われます。

八千草薫宝塚時代辺りの画像

 

こちらはカラーが普及してからなので、少なくとも1960年前後以降、つまり八千草さんが30歳くらいのときになります。

八千草薫着物を着た画像

 

これらから、八千草薫さんの若い頃の美しさはただの噂であったり、噂が誇張されたものではないということが十分に理解できるのではないでしょうか。

お嫁さんにしたい有名人のアンケートでも、何度もランキング1位に輝いた過去があるそうですが、それも納得という他ありませんね。

 

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八千草薫さんの結婚に関する噂

これほどまでに美しかった八千草薫さんですが、結婚にまつわるエピソードはかなりインパクトが強力であったりします。

 

宝塚退団の年、映画監督と結婚

八千草薫さんを語る上で忘れられないのは、八千草さんは当時所属していた宝塚で順調なキャリアを積み重ね、映画女優としてもいくつかの作品で実績をあげていた頃の話です。

この当時26歳の八千草さんは女優としてこれから花開こうとしていた矢先に19歳も歳の離れている映画監督の谷口千吉さんと電撃結婚され世間に衝撃を与えました。

確かに宝塚の舞台では10年近くのキャリアがありましたが、世間的にはこれから若い芽が花開こうとしていた時にしかも相手が19歳も年上で世間的には自分の父親ほどの歳の男性であり世の中に強い衝撃を残します。

 

※真ん中が谷口さんです。

 

谷口千吉とはどんな男なのか

八千草薫さんの夫となる谷口千吉さんですが、「世界のミフネ」といわれた当時カメラマン志望の三船敏郎さんを口説き落として俳優にスカウトした人としても有名です。

また映画監督としては「世界の黒澤」といわれた黒澤明監督と東宝では「芸術の黒澤、娯楽の谷口」といわれるほどの実力者です。

そんな凄い大監督であった谷口さんですが、私生活とりわけ結婚においては、いささか問題行動が多い人でした。

谷口さんの最初の結婚は当時脚本家の水木洋子さんとされていますが、なんと翌年には早くもスピード離婚をします。

そして2人目の結婚が後々問題になる若山セツ子さんです。若山さんとの結婚も当時二十歳になったばかりで清純派女優で売り出し始めた矢先に谷口さんは手を出して電撃結婚をやらかします。

 

八千草さんが谷口さんを選んだわけ

そんな女性遍歴を持つ谷口さんを八千草さんはどう思っていたのでしょうか。

八千草さんは谷口さんの事を他の監督とはどこか違い、

「何でも話しやすくて楽しくて現場はいつもユーモラスな笑いが溢れていました。私のファンまで谷口さんのファンにしてしまうほどの人です。」

という趣旨のコメントを残されています。

それほど八千草さんにとって谷口さんは話やすくて心が落ち着く居場所のような男性だったのでしょう。

 

元妻・若山セツ子さんのその後

当時の事なので確かな証拠はありませんが、谷口さんが若山さんと結婚していた時に八千草さんとの不適切な関係があったのは恐らく事実でしょう。当時は今と違いマスコミもうるさくなかったので監督と女優や俳優と女優がよく付き合っていたようです。

八千草さんと谷口さんも最初はそのような軽い気持ちで付き合い始めて、いよいよ抜き差しならない関係になったのではないでしょうか。若山さんは離婚という形をとりましたが、事実上は谷口さんから捨てられたようです。もしそれが本当なら、これは完全に略奪婚になります。

夫からいきなり捨てられたショックが強すぎて、この後の若山さんは精神不安定な状態になっていったそうです。

若山さんは一度は精神の病気で引退しますが、1961年週刊誌に取り上げられたことで再び復帰します。ところが次第にまた精神が病んできて奇行が目立ってくるようになり再び引退。さらにその後、若山さんに追い打ちを掛けるように辛い出来事が襲い掛かります。一緒に暮らしていた姉や母を次々と失ったのです。

それから若山さんの精神状態はさらに悪化し、強制入院させられ、やがて病院で亡くなられました。若山さんの最後の姿はとても50代の女性には見えず、まるで80過ぎのあばあさんに見えるほどのやつれようであったそうです。

 

性格が悪い発言?

この話を聞くと、若山さんに対して強い同情の念を抱く人は多いのではないでしょうか。

一見すると、若山さんは被害者で、谷口さんと八千草さんは加害者になります。

ところが、八千草さんは若山さんが亡くなった際に、このような言葉を口にしたと言われています。

「身から出た錆ね」

この発言については出所が不明なので定かではありませんが、ここでは仮に本当にそれを口にしたという前提で考えてみたいと思います。

たとえその発言が本当だったとしても、裏でどのような事情があったかはわかりません。若山さんが精神的におかしくなったことで、谷口さんと八千草さんの足を引っ張ろうとしていたことも考えられます。いつまでも執着して復讐に精を出していたら、八千草さんとしては煩わしい人物となるでしょう。

確かにそもそも略奪婚する方がいけないとは思いますが、もしそのような背景があったとしたらわからなくもありません。後は、その嫌がらせが一体どの程度のものであったのか、八千草さんの性格が本当に悪いのか、そうでないのかはそれ次第になってくると思います。

ですから、この発言のみでは八千草さんの性格を判断することはできないということを思いますね。ですがさすがに若山さんの逸話を知ると、あまりにも気の毒になるところはありますが。

ただ過去のエピソード等からは、やはり気が強くて少し我が儘な印象を受けるものが多いのも事実です。だからと言って性格が悪いと直接結びつけることは違うと思いますが、この発言自体は八千草さんの人物像から連想することはできます。

 

八千草さんと谷口さん夫婦のその後

周囲の物凄い反対を押し切り結婚した二人ですが、二人の結婚生活はどうだったのでしょうか。結婚してからの谷口さんは東宝から3年ほど仕事を干されたりして、段々と仕事の量が減っていきます。ほとんど八千草さんが食べさせていたのでしょう。

谷口さんは自身の65歳の時運転免許をとられ85歳になるまで八千草さんを撮影所まで送り迎えをされていたそうです。そして2007年、結婚50年目に谷口さんはお亡くなりになり、八千草さんと永遠に別れることになります。八千草さんは谷口さんと始めた山歩きを今でも続けられているそうです。

 

最後に一言

 

八千草さんも事実上の略奪愛だったとは思いますが、最後まで谷口さんと共に人生を歩んだところをみるに、その決断は決して軽いものではなかったのだと思います。

もちろん決してその行動が良かったとは言い切れませんが、間違っていたというのもまた違う気がしますね。この辺りは、八千草薫さん自身がどう思っているか次第と言えます。